私の20年。




1995年 1月17日

阪神淡路大震災が起こったあの日。

あの瞬間に起こった事、そしてあれからの日々、今でもくっきりと鮮明に思い出す事ができます。

とにかく「死」を鮮明に感じた出来事だった。

とても怖かった。

そして、成人を目前に控えたあの時、私の人生観は大きく覆され、「生きていく」ということの意識が変わった。


当たり前に「生きている」のではないんだ、って実感したからです。


いろいろな衝撃で、しばらく楽器には触れる事ができなくなってしまい、心が定まらない日々が続きました。

どうしたらいいんだろう、どうやって生きていけばいいんだろう。

できることはなんなんだろう。

何度も何度も繰り返し考えたけれど、答えが見つからないまま日々が過ぎました。


そんな時に知った友の死。

一緒に校庭を駆け回り、冗談を言い合い、放課後によく遊んだ彼女。
彼女との思い出は尽きない。

本当にショックだった。

そして、彼女のご両親の事を考えると耐えられなかった。


この時、ちゃんと「生きていこう」と心に誓ったのです。

じゃないとだめだって。

そして、人を守る強さを持とうと、そう誓ったのです。


この20年間、心の傷が消えた人はいないと思う。

忘れる事、忘れない事、両方必要なんだと思う。

でも、覚えている事が大事なんだと思うのです。


「生きている」今を大切に、目の前の人を大切に。

そしてあなたの大切な人に「ありがとう」を伝えてほしいのです。


当たり前の日常、なんてほんとはないし、当たり前の日常がどれだけ大切で愛しいかを忘れないでほしい。


そして、防災の意識を。
いざ起こった時は、弱者を助ける事ができるように皆が強くあること。
それが今必要とされていると思うのです。


私は20年前のあの日、逝った友とたくさんの人への誓いを胸に、音楽を届けていこうとまた改めて誓います。


私は私にしかできない音楽という力で皆さんを守っていきたい、そう思っています。


2015年 1月17日 maiko


2015-01-17(Sat)
 

コメントの投稿

あの瞬間は、私も「終わりだな」と思いました。
当時、私は池田市の駅前に住んでいました。通勤の為に乗り込んでいた阪急宝塚線。高架になったばかりの蛍池駅~豊中駅間で大きな揺れに遭遇しました。
176号線を歩いて帰宅途中、家の目前で大きな余震に遭いました。
帰宅すると、多くのものが倒れていました。TVを点けると、信じられない光景が。私は同じ楽団に所属していた神戸と伊丹在住の楽員に電話をかけましたが、つながりませんでした。
その後日数を経るに従い、いろいろな状況が判明しました。彼等は退団しました。
私自身は被災者ではありませんが、私の会社は震災がきっかけで資金繰りが悪くなり倒産、再就職先の勤務地は三田市。宝塚市や川西市の仮設住宅を、毎日目にしました。それは発生時の神戸や淡路のTV映像同様、私をサバイバーギルトへと追いやりました。私はなんと無力なのだろう、と。
しかし、退団した彼等と私には音楽という絆があるということに次第に気づき始めました。

私達は大きな災害に遭う度、困難に抗う絆と帰らぬ人達への祈りを新たにします。この思いを忘れることなく語り継いで行かなければなりません。
2015-01-17 01:23 | K.Matz. | URL   [ 編集 ]

コメントさせてもらっていいものか迷いましたが、失礼いたします。

私は震災の2年後に神戸に来て学生時代を過ごし、その後一旦他県で過ごした後、神戸に戻り働いています。
社会人としての自分を育ててくれたのは間違いなく神戸の街と、ここで出会った方達です。

maikoさんのおっしゃる通り、本当に傷は消えないのだと感じます。そんな傷や苦しみ、想いが集まった街に育ててもらったんだということは、忘れてはならない、かけがえのないことです。

自分は無力ですが、丁寧に生きたい、何か役に立ちたい。そしてこの街からもっと学びたいと思っています。
魂のこもったブログ、ありがとうございます。


2015-01-18 00:06 | よね | URL   [ 編集 ]

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Author:maiko
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